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FM24.7 JP_monologue No.001 Animalic Fragrance ふとしたことからムスクの香りが気になって、 動物性の天然香料(アニマリック・フレグランス)について調べてみた。 植物性の天然香料はかなりの数だが、動物性はなんとたった4種類しかない。 ゆえに不勉強でも取っ掛かり易い。その4種とは以下のとおりである。 ・ムスク = 麝香 (じゃこう) : ジャコウジカ ・シベット = 霊猫香(れいびょうこう) : ジャコウネコ ・カストリウム = 海狸香(かいりこう) : ビーバー ・アンバーグリス= 龍涎香(りゅうぜんこう) : マッコウクジラ アンバーグリス以外は、それぞれの動物が持つ「香嚢」から採取する。 香嚢というのは、生殖器近くにあるフェロモン袋のようなものだ。 陰部近くの匂い袋のことだから、それはもう、とんでもなくくっさいものであることは想像に難くない。 実際成分の多くにスカトールやらアンモニアも含まれていて、原物は強烈な不快臭らしい。 しかしなぜか薄めると、それはそれは心地よい香りになる。 この辺は肛門の匂いを嗅ぎあって恍惚の表情を見せる 哺乳類の習性(フレーメン反応)の延長上にある感覚なのかもしれない。 本能的魅力ゆえに歴史は古く、シベットはクレオパトラが肌に塗って媚薬としていた、なんて話もある。 残るアンバーグリスは非常に面白い。 海にプカプカと浮いて漂流し、海岸に流れ着いた奇妙な塊を拾ってみるとなにやら不思議な香りがする。 これぞ天の恵みと重宝され続け、一体その塊が何であったのか判明したのはそれから随分経ってのこと。 正体はなんと、マッコウクジラの腸内にあった結石なのであった。 マッコウクジラを漢字表記すると「抹香鯨」。その結石が抹香という香木に似た香りを出すためである。 素性が判明する前に名づけられたため、とりあえず琥珀の仲間として「アンバーグリス=灰色の琥珀」 という名称が付いた。和名/漢名の『龍涎香』、つまり「龍のよだれ」と称する理由は、その正体不明さと 瑪瑙(メノウ)のように波を打つ模様が所以である。 商業捕鯨の禁止された現在では、かつてと同じように漂流してくる偶然でしか天然のものは入手できない。 それなりに安定して天然の動物性香料を入手できるのはシベットとカストリウムの2種らしいが、 檻に閉じ込めた動物の香嚢にヘラを差し込んで継続的に原物をすくい出すのは 殺さずとも非倫理的だと風当たりは強い。 というわけで、今流通している動物性香料はほぼ全て合成香料なのである。 ただし合成香料の分子構造は本物とは全く別物で、化学的には完全に異なる物質である。 (違う物質で同じ匂いを感じるのは嗅覚のメカニズムにおいて非常に重要なポイントだが、ここでは置いておく。) 合成ムスクはかなりポピュラーな香料で、誰もが嗅いだことのある印象的な匂いである。 なんというか、乳臭いような肌臭いような、コクのある香りだ。石鹸の柔らかな残り香を想像すればいい。 ちなみにマスクメロンはムスクメロンが訛った名称。 高貴な香りのするメロンとして、ムスクの冠がついたというわけである。 今回調べていくなかで、驚くほど身の回りにはムスクと、それに由来するもので溢れていることに気付かされた。 ムスクをはじめとしたアニマリック系は分子量が大きく、香りの持続性が良いので (他の香りも持続させる効果がある)、香水にはボトムノート(ラストノート)に使われる。 不思議なことに単体ではピンと来ないが、人間の体臭との掛け合わせで香りの魅力が跳ね上がるらしい。 というわけでたった4種でありながら、多様な香りをまとめあげるベースとして、 また香りをつけた人の印象を周りや相手に焼き付ける残り香として、 アニマリック・フレグランスは確固たる存在感を持って生活のなかに鎮座しているのである。 さてひととおり調べてみて僕が気になったのは、その種類数の少なさである。 動物と人間の関係の一つとしてのアニマリック・フレグランスはなぜこんなにも少ないのか? カストリウムの歴史は非常に浅いし、シベットはムスクにかなり近いものらしく、 言ってしまえば実質的に文明とともにあったアニマリック・フレグランスは ムスクとアンバーグリスのたった2種類のみである。 植物性はゆうに1000種類を超えると言われる。それぞれの種類の絶対数の違いもあるだろうし、 そもそもここで植物と動物を対概念にすることが間違いであるのは自覚しているが、それにしても少なすぎる。 個人的に考えてみた結果、 1.ムスクの強力さが全ての他種を淘汰し、 (*アンバーグリスだけはその存在が特異過ぎたため淘汰されなかった。つまり唯一+特異の2種。) 2.更に、歴史的に希少性の方が重視されやすかった人間社会の思惑が乗った、 ということが思い浮かんだ。 香嚢を持つ動物がどのくらいいるのか確認できなかったが、カストリウムが近年1種として加わったのは ビーバーの「樹皮を食べる」という特殊な習性が分泌物に影響しているからであり、 その他はジャコウジカの香嚢以上の強さと特殊性を獲得できなかったのではないだろうか。 そして香りは常々権力とともにあった。 そもそも天然のムスクを歴史上触れることが出来た人間はほとんどいない。 過去は絶対権力者の手へ独占的に渡り、今は狩猟規制のために入手できない。 日本においても1200年の歴史を持つ伝説の香木:『蘭奢待』のように、絶対権力は香りの経験に辿り着く。 それは食の経験を遥かに凌駕し、美術用語でいう「礼拝価値」を身体的に最も体験できる 圧倒的に特別な経験と言える。 権力の独占を表現してしまう以上、今の時代に国宝である蘭奢待を切り取って その香りを嗅ぐことの出来る人間はいない。 つまり香りを纏っても、香りを嗅いでも、香りは「特別な人間像」をつくる術なのである。 このような人間社会の思惑事情が、ムスク以外の淘汰を完遂したように思う。 しかしムスクにも消されなかったアンバーグリスという存在と人間の関係にはただただ感動せざるを得ない。 人間が知る由もない深海にて、マッコウクジラが捕食したダイオウイカの硬い嘴が消化できずに結石化され、 体外へ排泄されたあとに海面に浮かび、数十年もの間太陽と海水にさらされて海岸に辿り着くという、 まるで地球の凝縮物のようなものが、そのコンテクストと全く関係ないところで まさか人間をただ「いい気持ち」にさせる物体として歴史に乗っかってくるなんて! 今はコンテクストを含めてその香りに人間は感動しているけど、かつての正体不明ながら 「不思議な香り」という一点で人間と接点を持つような動物たちと人間たちのつながり方こそが、 地球の楽しみ方のオリジンだったはずだ。 それはあらゆる方向で人間の想像力を引き延ばしてくれる、とても魅力的な関係である。 (とはいえどっちの感動が正しいかなんて無意味なことは考えない。 コンテクストだけで興奮できる人間の変態っぷりも相当に面白い事柄なのだから。) もしこれから新たな動物性香料が見つかったとしたらかなり興奮してしまうが、 一方で何千年もかけて微々に追加、もしくは淘汰によって選ばれた4種の数が増えては面白くない気もする。 そもそも香りの多様性をつくるのは植物性香料との掛け合わせによってであって、 動物性香料それ自体にバリエーションは求められない。 つまりは料理のダシの種類数があんまりないことと同じ構図かもしれない。 そんな状況下で、10年ほど前に植物性でも動物性でもない 「オゾン」という、自然界にソースを持たない完全な合成香料が発明された。 比喩としては「干した洗濯物、海、スイカ」をイメージさせるものらしい。実際嗅いでみたが確かにそんな感じ。 結局既にあるものの比喩でしか香りを表せないのは少々残念だが、これには何か文化的な踏み出しを感じる。 いよいよ香料の舞台は地球から宇宙に移り、かつての正体不明なものとの接点として回帰したのかもしれない。 こうなったら隕石もくんくん嗅いで、宇宙へアプローチしていくべきだろう。 香道の「香十徳」と呼ばれる極意の一つ目には「感格鬼神」=「感覚が鬼のように研ぎ澄まされる」とある。 つまり今ある世界を髄まで知り楽しむ方法であると同時に、これからつながる世界とコンタクトする方法として、 香りの経験というものは人間の文化文明においていつまでも欠かせないものであり続けるだろう。 Text by MATSUSHIMA
REVIEW by FUJII この話を読んだときにふと『偶然の惑星』を思い出した。 『偶然の惑星』とは日本科学未来館のプラネタリウムで上映されているプログラムで 我々の住む地球という惑星は、実に様々な要素がただ偶然に重なり合ってできているにすぎない ということを示すものだ。 今この瞬間にも膨大な偶然が生まれるこの世界で、僕らができることは 結果としての産物について考えることである。 それは何かを『発見』することとも言える。 単なる偶然を見過ごさず、注意深く見て、考えることで それが新たな文化を生むきっかけにもなりうるのだと思う。 |
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